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第19話 「朱」の放つ力
色には、さまざまな名前があります。その中には、日本の昔から使われてきたであろう名前もあれば、西洋から入ってきた色名もあります。「日本の伝統色」と言われる天然染料、顔料で染められていた時代の代表的な色として「朱」の色があります。古くは「丹」と記された「朱」という顔料は、赤い色素として用いられてきました。
土器や木彫りの装身具、死者を葬る時にも施された「朱」には悪魔を除く厄除けとして、さらに都を定めた頃に造られた建物や神社の柱には朱塗りがなされ、権力を示すものとしても使われていたようです。古代の人たちは、火や太陽や生命力を象徴する「赤」の色の効用そのものを自然に生活に取り入れていたことが伺えます。
縄文時代から赤色は、火や太陽と結びつく畏敬の表れであり、悪霊から守るためのものでした。そして、時代時代の権力者たちが、「朱」という色がもつ力を必要として、土器や建物などに塗って「魔よけ」をしたり、権力を誇示する色となっていきました。古代中国でも「朱」は皇帝の権力の象徴であり、皇帝に「朱」の使用を許可された名門の権臣たちにとって、朱印は名誉の印でもありました。
この頃、日本では「都」にある神社や寺院には必ずと言っていいほど、朱塗りの柱が造られたのも権力を表すためでした。現在でも残る朱塗りの柱を見ると、圧倒的な印象を与えたであろうことは想像できます。
武田信玄が人の気持ちや感覚を色によって変化させた話があります。戦国時代、武田信玄率いる騎馬軍団は、「赤備え部隊」として恐れられていました。川中島の決戦の際に、軍旗はもちろん、装束もすべてを真紅に染め上げて川中島の決戦に臨み、上杉軍を苦しめたという言い伝えがあります。
赤は戦場となる緑の草原では強烈なインパクトを与えます。しかも赤は膨張色でもあるので、実際よりも兵士の数が多く見えたのかもしれません。このように「赤」の持つ力に、時代の権力者たちが強い想いと生命力を委ねていたことが伺えます。
また、地方に伝わる郷土玩具に、赤い色が使われているのをよく見かけます。これは、江戸時代にかなり流行った疱瘡(天然痘)が、多くの子供達の命を奪ったことと関係があるようです。当時は、こうした病が病魔の神の仕業であり、またその疫病神が赤い色を好むため、子供から赤い人形に乗り移り、病気が治るだろうという言い伝えがあったらしく、こうした人形の赤に「朱」が使われていたということです。
赤の色材の一つである「朱」が、生活の中で何らかの意味合いをもって使われていたことからみると、色材の効用そのものを「自然」に受けとめていたことがわかります。
現代の私たちが、「赤」の意味を連想したときの生命力、火、エネルギーといったものを、もっと皮膚感覚で、切実感をもって捉えていたのでしょう。おそらく、人類が日々の生活というものを行うようになった頃の初めに、「赤の色」は必要とされ、人間と共に存在した「スタートの色」のように感じます。
『色彩の再発見』の中で武田邦彦氏は下記のように述べています。
『自然界の色の中で赤の占める率は非常に少ない。すなわち、大自然の中では、大地の茶色、草木の葉の緑、空と水の青がほとんどを占める。赤はある種の花の花弁、紅葉葉、夕焼けぐらいのものであろう。しかし、それにもかかわらず、赤に関する色名は驚くほど多いのである。これは、とりもなおさず、人間の感情が赤に対して最も揺れ動いたということであろう。自然界の数少ない赤に心惹かれた人間が、その微妙な色調の変化をも見逃さず、そして、赤に属する複雑な色調を作り上げてきたものと考えてよいだろう。赤は歴史的に見ても、多くの人々にとって最も魅力的な色であったといえよう。』
「生きる」ということが切実であった時代の人々の「赤」に対する感情は並々ならぬ思いを感じます。今でも「赤」に何らかの強さを感じるとき、それは「朱」の放つ本来の力と無縁でないのかもしれません。